干菓子

北陸における落雁のルーツは越中・井波の板倉家だと考えられる。
後掲の『加越能文庫』所蔵の板倉家文書『稟告江湖諸君(りんこくこうこしょくん)』
によれば、板倉家4代目が製造した墨形菓子(落雁)を、慶長6年(1601)、
2代目加賀藩主前田利長公が徳川家康公の関が原戦勝を祝って献上している。

5代藩主前田綱紀公の元禄時代に、板倉家6代目が製した墨形菓子を有栖川親王に
奉ったところ、親王が御所へ献上し、天皇から次の和歌を賜ったという。

『白山の雪より高き菓子の名は四方の千里に落る雁かな』

方寸の角形に黒白の胡麻を散らした意匠を田畑に落ちる雁と見立てたもので、
ここから米の粗粉を用いる菓子を落雁と称するようになったとある。これが事実ならば、
落雁という名称は北陸がルーツということになる。

板倉家13代目の板倉廣方(ひろかた)が著した同文書によると、板倉家初代は
文明年間(1469~1487)、山城国壬生(みぶ)の里で、米を砕いた粗粉で
菓子を製し、時の帝に奉っていた。2代目が蓮如上人に従って越前・吉崎に来て、
その後越中・井波に移り、瑞泉寺(ずいせんじ)3世(蓮如上人二男)に仕えた。
板倉家は仏前に供える『御華束(おけそく)』として墨形菓子を製し、のちに
前田家御用となった。

正保年間(1644~1648)ごろまでは板倉家が前田家に直接納めていたが、
その後金沢の菓子師に製造法を伝授し、以来金沢の名産になっとある。この
菓子師とは楠の一党菊井左馬助(さまのすけ)かと思われる。元越中国八尾の
住人で、井波へ移住し板倉家に干菓子の製法を習い、3代目加賀藩主前田利常公の
命により、金沢・香林坊に出て『井波屋』と名乗り、御用菓子を製造したとの記録が残る。

北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より

【加賀ゆかりの菓子について】

この菓子は、加賀の菓子文化の歴史を再現するため特別に作られました。
そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。

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百万石ゆかりの菓子 — @ 2008年3月26日 5:25 PM

創業嘉永二年 落雁 諸江屋
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