寿せんべい・有平糖

「寿せんべい」は金沢の婚礼に欠かせないおめでたい菓子である。
紅白のせんべいに蜜で「寿」を浮き出させたものだが、元々は黄白の城中菓子だった。
黄は金、白は銀を表し、「寿」は朱の慶賀色づくし。原型は以前に紹介した
「亀の子せんべい」だ。黄白を紅白に変え、庶民にも広まったのは文化・文政以降だろう。

「太閤并将軍家御成記」によれば、寛永6年(1629)4月26日に3代将軍徳川家光公が、
同29日に前将軍秀忠公がそれぞれ加賀藩の江戸、神田邸に御成りになった。
迎えたのは3代藩主利常公。文禄3年(1594)、前田利家の伏見邸への太閤秀吉御成時と
同様、絢爛豪華の饗応が繰り広げられた。ここで供されたのが「寿せんべい」と「有平糖」で
ある。製造者は江戸の前田家御用達菓子司・金沢丹後だろう。その根拠は、丹後末裔の
金沢復一氏の「江戸菓子文様」(昭和41年刊)と、金沢城二ノ丸御殿大膳所蔵の
「御菓子製造控」記事の菓子が、名前も含め同一であることと、丹後が最も得意としたのが
有平糖だったことである。

では、金沢丹後は何者か。実は元豊臣家五奉行の一人、増田長盛である。
長盛は関が原の後、前田家を頼って金沢に来た。その後、菓子職人を連れて江戸に上り、
「金沢屋」を始めた。寛永のころには江戸城本丸、西ノ丸、裏方の御用を務め、前田家ほか
伊達家、水戸家など諸大名の御用も務めていた。けだし冥加金、御用金の威力といえよう。
饗応に用いられた「有平糖」は緑と白で若竹をかたどったものである。南蛮渡来の氷砂糖を
煮詰めて着色し、ぬるま湯で人肌に冷ました後、形を整える。白は無着色だが、軟らかい
うちに手繰って中に空気を入れることで白くなる。

北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より

【加賀ゆかりの菓子について】

この菓子は、加賀の菓子文化の歴史を再現するため特別に作られました。
そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。

記・加賀百萬石 【加賀ゆかりの菓子】

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百万石ゆかりの菓子 — @ 2008年3月26日 4:23 PM

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