宮城野

『白露もこぼさぬ萩のうねりかな』
俳聖・松尾芭蕉がこう詠んだ萩は、秋の七草の筆頭に挙げられる花である。
「宮城野」は夢の中で咲く萩をモチーフにした金沢独特の風雅な菓子であり、
元禄期に成立した。干した紫蘇の実の一粒一粒に刷毛で紅白の砂糖蜜を塗ってあり、
紫蘇の香りと口に広がる蜜の甘みが高貴な女性を連想させる。この蜜は砂糖を
火にかけ、手でかき混ぜながら仕上げるが、加減が難しく熟練の技を要する。
13代加賀藩主前田斉泰公に11代将軍徳川家斉の21女溶姫が15歳で輿入れ
したのは文政11年(1828)11月である。以来34年間を加賀藩江戸上屋敷で暮らした
溶姫は、文久3年 (1863)4月、初めて金沢城に入った。が、冬の寒さに耐えかねた
ようで、わずか1年半で江戸に帰ることになった。元治元年(1864)10月、金沢城
二ノ御丸新殿で開かれたお別れの宴における床飾りの食籠に、「宮城野」が御所饅頭、
かるめらとともに飾られた記録が残る。また、14代加賀藩主前田慶寧公の明治4年の
献立表にも三の膳の後の菓子として登場する。さて、いったんは江戸に戻った溶姫だが、
幕末の動乱に翻弄されるように明治元年3月、再び金沢に戻り、同5月に56歳で亡くなった。
「宮城野」の雅な姿に、数奇な運命をたどった溶姫が重なり、哀れを誘われる。
「宮城野」はまた金沢の雛菓子の一つでもあった。前田家では「宮城野」を含む
18種を雛菓子とし、これを雛壇の高坏に盛った。器や菓子の大きさ、飾る数こそ違え、
家臣や庶民もそれに習い、桃の節句には同じ18種の菓子を飾ったのである。
この風習も大正期には途絶え、それとともに「宮城野」は幻の菓子となった。
北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より
【加賀ゆかりの菓子について】
この菓子は、加賀の菓子文化の歴史を再現するため特別に作られました。
そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。記・加賀百萬石 【加賀ゆかりの菓子】
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定価10,000円(消費税込み)

