おたま団子

菓子屋(樫田)吉蔵、堂後屋三郎右衛門、道願屋彦兵衛の3人をもって金沢の
菓子商の嚆矢となす。うち堂後屋三郎右衛門は、能登宇出津の船問屋の次男で、
天正 10年(1582)、金沢に出て開業した。当初、米町なる地所に店を構えたが、
後、片町犀川小橋詰の権七ヶ辻(現在の竪町通りの片町側入り口)の向かいに移り、
おたま団子で評判をとった。

初代加賀藩主前田利家公が金沢に入城したのは天正11年である。正室のまつ(芳春院)は
以降17年間と、江戸での人質生活を終えて帰国してからの4年間を金沢城で過ごした。
「金沢古蹟史」によると、慶長13年(1608)、堂後屋は2代藩主利長公より御判書ならびに
紋付、帷子を賜り、町役を仰せつけられており、まつも恐らくおたま団子を好んで口にして
いたものと思われる。「おたま団子食うて、新七茶飲め、そばの願念寺で後生願え」という
童唄が明治末まで金沢で歌われていた。新七は堂後屋の筋向かいの茶屋で、願念寺も
当時はその界わいにあった。この歌詞から金沢城下の名物事情がうかがえよう。

おたま団子は、黒あんよりも格上とされていた白あんを餅で包み、上にきな粉をまぶしたもので、
当時は2個刺しだった。通貨の変遷に合わせる格好で団子が5個刺しになったのは
万治・寛文年間(1658~1673)で、四文銭が登場した明和年間(1764~1772)には、
4個刺しとなった。

余談だが、堂後屋元禄の初めに茗茶商に転身し、引き続き城中出入りを許された。
元禄10年(1697)、金沢を訪れた松尾芭蕉が宮竹屋に草鞋を脱いだ折、堂後屋に招かれ、
「山吹や宇治のほいろの匂ふ時」の句を詠んでいる。「山吹」は堂後屋の煎茶「初山吹」に
ちなんだものと思われる。

北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より

【加賀ゆかりの菓子について】

この菓子は、加賀の菓子文化の歴史を再現するため特別に作られました。
そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。

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百万石ゆかりの菓子 — @ 2008年3月26日 4:14 PM

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