落雁・有平糖・舞鶴
最後の加賀藩主である14代前田慶寧公は、幕末から維新の激動期を生きた。
元治元年(1864)の蛤御門の変、慶応3年(1867)の大政奉還、明治元年(1868)の
北越戦争、同4年(1871)の廃藩置県など数々の重大事件に遭遇、まさに歴史の
転換期の荒波に翻弄(ほんろう)された生涯であった。 異例の事だが、慶寧公は
二度、正室を娶(めと)っている。第一正室は久留米藩主有馬家の親姫で、
弘化4年(1847)、15歳で江戸本郷邸に輿入れされた。が、わずか9年後に亡くなった。
「御婚礼御式献立」によれば、本膳三献に縁高の器で供された菓子は7種で、
両婚礼とも同じ内容である。が、本膳の三膳に出された5種の後菓子(のちのかし)は、
それぞれ内容が異なっている。
今回は両婚礼の後菓子2種ずつを、慶寧公から拝領品である剣梅紋入りの器に
盛ってみた。らくがんは扇に梅を描いた意匠の「末廣らくがん」と、「壽」を紅白で
かたどった「重寿らくがん」である。後者の書体は、慶寧公が書を学んだ市河米庵
(いちかわべいあん)・遂庵(すいあん)の通称「米庵流」とされている。
「有平糖」は位が最も高い菓子であり、紅白を1本に重ね、千代結びにしてある。
「舞鶴」は生姜入り砂糖を黄色のもち種煎餅で包み、飛び鶴型にまとめられたもので、
「鶴は旭日を浴びて舞う」の意から、当時は黄色と定まっていた。
心労が重なる苦難の日々において唯一の慰めが鷹狩とお能であった慶寧公は、
熱海温泉で療養中の明治7年5月、45歳の短い生涯を終えた。御婚礼菓子の
華やかな彩りが哀れを誘う。
北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より
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