饅頭・羊羹・落雁

名君の誉れ高い5代加賀藩主前田綱紀(つなのり)公は、父光高(みつたか)公の
急死により、わずか3歳で家督を相続した。江戸で生まれ育った綱紀公が藩主として
初めて金沢入りしたのは、寛文元年(1661)7月である。まだ御年18歳、綱利を
称していた。綱紀公は同年9月、高禄の近臣である本多家、横山家、前田家、
両奥村家、今枝家の各邸を順次訪れた。つまり藩主の御成(おなり)であり、
「綱利公江献御(つなのりこうへたてまつり)茶道具付并(につきならびに)献立」に
よれば、各家とも数奇屋にて茶を献じ、御道具を披露し、盛大な饗宴を催した。
そのうちの奥村河内守邸における宴席で供されたのがこれらの菓子である。

饅頭は麹で作ったどぶろくを発行剤に用いた、加賀特有の酒饅頭である。
奈良時代に林浄因が宋から伝えた饅頭はその後、京都系(藷蕷饅頭)、
江戸系(重曹を使用)、そしてこの加賀系酒満十二分れていったのである。
茜色の羊羹は小豆を唐三盆を茜紅で着色したものである。
「井伊の赤備え、加賀の茜備え」と称されたように、初代藩主利家公以来、
前田家では陣幕や旗差物を茜色としてきた。いわば加州公好みの色なのである。

金沢の羊羹のルーツに関しては興味深い逸話がある。京都・聚楽第の饗宴で
太閤秀吉が駿河屋の羊羹を自慢したところ、対抗心を燃やした利家公が金沢の
金物商に「日本一の羊羹を作れ」と命じた。工夫を重ね、ようやく自信作が完成
したのは実に30余年後。3代藩主利常公に絶賛され、前田家御用となったこの店こそ、
後に東京・本郷に移る「藤むら」である。

らくがんは高麗渡りを起源とする「庭砂?(ていさこう)」。もち米と唐三盆を混ぜ、
本型に入れて押した、いわゆる「押しもの」である。

北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より

【加賀ゆかりの菓子について】

この菓子は、加賀の菓子文化の歴史を再現するため特別に作られました。
そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。

記・加賀百萬石 【加賀ゆかりの菓子】

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百万石ゆかりの菓子 — @ 2008年3月26日 4:03 PM

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