御饗宴菓子
慶長6年(1601)9月30日、加賀藩主前田利光(利常)公と、二代将軍徳川秀忠公
ご息女珠姫様との婚儀に、金沢城本丸新殿で供された菓子である。祝宴献立の
一品として、一尺角の三方に盛って出された。この婚儀に関する記録には
「五種生菓子」と表記されており、今日、金沢の婚礼で用いられる五色生菓子の元となった。
「日月山海里(にちげつさんかいり)」とも称される通り、確たる資料はないものの、
5種の生菓子はそれぞれ日(ササラ)、月(饅頭)、山(羊羹)、海(鶉)、里(イガラ)を
表している。おめでたい婚儀に際し、前田家の大膳頭はもとより、学者、御典医なども
関わり、有職故事にのっとり創案したものだろう。
このうち、羊羹は現在とは異なり、もち粉に氷砂糖を混ぜて蒸した「ういろう」は元々、
菓子というより活力剤で、薬屋で扱われていた。また、イガラはもちに米粒をパラパラと
まぶした「伊賀餅」が転訛したものだろう。元来は宮中の嘉祥の菓子である。
この御饗宴菓子を製造したのは樫田吉蔵である。後に家柄町人となった樫田家が
明治3年3月、県知事に提出した由緒帳に「天徳院様御当地江人御婚礼時より
御菓子御用拝勤」とある。高岡城に隠居中の2代藩主利長公に献上した記録もあり、
よほど藩主に気に入られた菓子だった。
前田家が金沢を離れたことにより、明治10~20年ごろに城中菓子が金沢中に出回るように
なった。五色生菓子が庶民の婚礼を飾るようになったのも、そのころからだろうと推測される。
北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より
【加賀ゆかりの菓子について】
この菓子は、加賀の菓子文化の歴史を再現するため特別に作られました。
そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。記・加賀百萬石 【加賀ゆかりの菓子】
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