君が代煎餅
かつて金沢市観音町に「笠間屋(かさまや)」なる煎餅屋さんがあった。
「君が代煎餅本舗」の看板を掲げていたが、昭和51年ごろに廃業した。
明治10年代から金沢市内で広く売られていた「君が代煎餅」は、これをもって姿を消した。
「君が代煎餅」は葵(あおい)の一葉形をした金沢だけの麦煎餅である。
焼き上げて数秒のうちに手の細工でかたどり、冷めてから生姜の蜜を塗ったものだ。
そのルーツに関する確たる資料はない。が、5代加賀藩主・前田綱紀(つなのり)公が
将軍家に献上したのが始まりではないかと推測される。元禄2年(1689)8月9日、
前田家は将軍家より、御三家に準ずる形での登城を許す旨、通知された。
その地位を伊井家と争っていた前田家にとっては、この上ない慶びである。
その祝いと御礼の意味で創案の上、初物として将軍家に献上したのが「君が代煎餅」
だったのではないか。葵の葉をかたどり、「君が代」と名づけたあたり、なかなか心憎い
ところをついたものと感心する。ただし、将軍綱吉の口に入ったかどうかは疑わしい。
献上品には序列がある。太刀を筆頭に、馬、金子(きんす)、羽二重、干鯛(ひだい)と
続き、菓子は中位以下なのである。しかも、将軍への献上であれば、三葉葵とした
はずである。当時、女性の肩紋は一葉であったことから推測すると、あるいは大奥絡みの
品だったかもしれない。
普通に盛ると駄菓子めくが、今回、杉製の四足亀足(よつあしきそく)に献上盛りしたところ、
それなりの趣をかもすことができた。「毛吹草(けふきくさ)」(1638年)の第4巻に、加賀は
京都六条、和泉堺の海会寺(かいえじ)前、近江の樫田と並ぶ煎餅の名産地として紹介
されている。当時の加賀煎餅製造技術の高さを裏付ける資料であろう。
北國新聞 出版局 月刊「アクタス」より
【加賀ゆかりの菓子について】
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そのため販売は一切しておりませんのでご了承くださいませ。記・加賀百萬石 【加賀ゆかりの菓子】
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